香高山五百羅漢
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奈良県高市郡高取町壺阪香高山 桃山時代〜江戸時代初期 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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西国三十三所観音の6番札所、壺阪寺(南法華寺)は、お里・沢市の物語で知られる『壺阪霊験記』の舞台でもある。その壺阪寺の奥の院といわれるのが、この香高山五百羅漢である。 壺阪寺より高取城跡へ行く道を1qほどすすむと、五百羅漢の道標が立っている。その道標から山道を少し行くと、数百体の羅漢を薄肉彫りした岩があらわれる(五百羅漢4)。像高約50pほどの像が所狭しと並んでいる。そこから数メートルほど上ったところにも、十一面観音や大黒天とともに数百体の羅漢が同じように彫られていて、壮観である。(五百羅漢3)。一見すると、こけしのようにすべて同じ顔、姿に見えるが、よく見ると一体ずつ姿態・表情は違い、個性が感じられる(五百羅漢3)。 最初の五百羅漢岩から左下へ下った奧には、両界曼陀羅が彫られている。金剛界曼陀羅、胎蔵界曼陀羅とも大日如来のみを薄肉彫り像であらわし(金剛界曼陀羅〔大日如来〕)、残りは梵字であらわした、珍しい石造の両界曼陀羅である(金剛界曼陀羅・胎蔵界曼陀羅)。この下り道の途中には自然石に彫られた不動明王石仏がある。 五百羅漢岩から上へ登るに連れて、 地蔵・十王像、五社明神 (五社明神、毘沙門天・仙人、仙人) 弘法大師蔵、阿弥陀来迎二十五菩薩(二十五菩薩来迎石仏・二十五菩薩1・二十五菩薩2)と磨崖仏が次々と現れてくる。そして、頂上には釈迦如来が彫られていて、香高山全山が仏の世界を描いた一種の曼陀羅のようになっている。一体一体は50p前後の小像で、必ずしも優れた作とはいえないが、千体近く彫られたこの石仏群は、見る我々を圧倒する。 羅漢岩に至る参道には、千手観音の種子(キーリク)と、弘法大師像が彫られた町石がたてられていて(現在6基残っている)、年号はないが、「甲辰」の紀年があるので、様式から見て慶長九(1604)年の造立と考えられる。また、五百羅漢岩の前の石灯籠には慶長十(1607)年の紀年がある。このことから、香高山五百羅漢はこの慶長年間の作であると思われる。 |
参照文献 | 清水俊明
「奈良県史 第7巻 石造美術」 名著出版 |