西大和の石仏 |
奈良県北西部の王寺町を中心とした生駒郡・北葛城郡は西大和または西和と呼ばれ、大阪のベットタウンとして住宅開発が進んだ地域である。法隆寺や龍田大社、信貴山朝護孫子寺などの社寺もあり、古い歴史を誇る地域でもある。 ただ、石仏に関しては鎌倉時代以前のものは多くなく、石仏愛好家にそれほど知られた地域ではない。しかし、仏師快慶か下絵を描いたという説もある薬師如来と月光・日光菩薩と十二神将を線刻した鎌倉時代の一針薬師笠石仏や南北朝時代の蔵王権現石仏など特色ある石仏があり、天文年間(1532〜1555年)から江戸時代にかけての石造十三仏が多数見られるなど、奈良県の他の地域とまた違った石仏を鑑賞し楽しめる所である。 生駒郡・北葛城郡で最も古い石仏は広陵町にある南郷伝弥勒石仏で永治2(1142)年の年記が刻まれている。次いで、王寺町の白瓜大日堂阿弥陀石仏と三郷町の一針薬師笠石仏が鎌倉前期の作で古く。そして、平群町の鳴川のゆるぎ地蔵・清滝八尺地蔵磨崖仏と椿井の弥勒石仏などが鎌倉中期の作である。その他、王寺町の送迎(ひるめ)不動石仏、平群町信貴畑の地蔵石仏、斑鳩町の法輪寺地蔵石仏などは鎌倉後期の作風を示す。 西大和で最も古い石造十三仏は文明11(1479)年の信貴山成福院の石室十三仏である。十三仏板碑は十三仏の種子が刻まれたものと像容で表出するものがみられ、像容で表出したものとしては平群町の鳴川や椣原墓地・信貴畑の東勧請などの十三仏板碑が、天文年間の作である。江戸時代の石造十三仏としては信貴山の命蓮塚の石室十三仏やその周りに並べられた板碑形式の一石一尊の十三仏、平群町の櫟原、三郷町の南畑、西勢野の墓地には江戸時代の十三仏板碑などがある。 西大和でもっともバラエティーに富んだ石仏があるのは平群町である。八尺地蔵磨崖仏を初めとした鳴川や金勝寺などの鎌倉時代から室町時代の磨崖仏、室町時代の石造十三仏、室町時代の西庄観音・六地蔵石仏、久安寺道薬師石仏などが特色ある石仏である。江戸時代の石仏でも信貴山三十三所観音石柱、梨本薬師堂薬師石仏など他の地域ではあまり見られない石仏がある。 王寺町に隣接する香芝市(旧北葛城郡香芝町)には平安後期の正楽寺石棺仏や鎌倉時代の念通寺不動石仏がある。 |
参照文献
奈良県史7 石造美術 | 清水俊明 | 名著出版 | 昭和59年 |
大和の石仏 | 清水俊明 | 創元社 | 昭和49年 |
平群町石造文化財〜平群谷〜 | 平群町教育委員会 | 平群町教育委員会 | 平成3年 |