伯耆のサイノカミ
 
  
 
 双体道祖神像は長野・群馬・神奈川などの東日本中心に分布し、西日本にはあまり見られない。しかし、鳥取県の西部、伯耆の国だけは例外で、双体像が集中的に分布していて、300体を越える。

 道祖神は「ドウソジン」・「サイノカミ」・「ドウロクジン」・「セエノカミ」などと呼ばれている。伯耆地方では、道祖神とは言わずサイノカミとしている。サイノカミは、塞の神、幸神ともされ、縁結び、足の神、旅の神、村境を守る神などとして信仰を集めている。初めは、村はずれの巨木や自然石を、「サイノカミ」・「サイノキ」・「サイノカミサン」として祀っていて、それが、伯江戸中期頃から石造双体神像に移行していった。

 伯耆の双体像は信州のような肩を抱き合い握手をしたり、祝言をあげる相愛像は見あたらず、男女の神がそれぞれ笏や扇や宝珠を持つ神祇像や雛人形のような神祇座像である。また、猿田彦・天鈿女を表現した像やイザナキ・イザナミを現したものも見られる。

 浮き彫り像や線彫り像・板彫と線彫り組み合わせた像が中心で、信州の安曇野の双体像などに比べると小型の像が多い。現在は村の神社や集会所、寺の広場に集められている。

 木野山神社にある神祇型の像には「安政5(1776)年」と、伯耆のサイノカミ中、最古の刻年がある。他に木野山神社には神祇型の薄肉彫り像と猿田彦・天鈿女をあらわした線彫り像がある。

 鶴田神社には神祇型の半肉彫りと線彫りの像があり、特に半肉彫り像は清楚で若々しい像で印象的である。亀甲神社には10基の像が集められていて、その内の一基は平成2年につくられたタキシード・ウェディングドレス姿の線彫り像である。 




伯耆のサイノカミ(1)(2)   鶴田神社のサイノカミ
鳥取県西伯郡南部町鶴田238
 鶴田神社はフラワーパーク「とっとり花回廊」近くの山麓の森の中にある。「とっとり花回廊」へ向かう分かれ道のある三叉路の西前方、県道1号線に架かる赤い欄干の橋が見える。その橋をわたると正面に鶴田神社の鳥居があり、その参道途中のコガノキ(カゴノキ)の下に2体のサイノカミがある。

 向かって左の1体は四角い石の表面に山形食パンのような彫りくぼみをつくり、その彫りくぼみいっぱいに合掌する女神と笏を持つ男神を浮き彫りする神祇像である。共によく似た着物で腰に結んだ紐や袂に赤い彩色の跡が残っている。女神は丸髷?(おかっぱ頭にも見える)で、男神は風折烏帽子を被っている。若くて慎ましやかな伯耆のサイノカミの秀作である。

 右の1体は大きな舟形の自然石に舟形の彫りくぼみをつくり、その中に合掌する女神と笏を持つ男神が少し離れて立つ、簡単な線で表した素朴な線彫りの神祇像である。男神の冠の巾子は細長く、そこに突き刺さるように簪が指していて、アンテナのようにも見える。女神もティアラのような冠を被り、上に巾子のような髪?が見えている。

 この地方では十二月十五日にサイノカミ祭りが行われ、わら馬やわらづと、草鞋などが供えられる。鶴田のサイノカミではまわりの高い木にわら馬が引っかけられる。



伯耆のサイノカミ(3)   丸山神社のサイノカミ
鳥取県西伯郡伯耆町丸山823
 丸山は大山の麓の畑作地帯の集落で、明治初年まで大山寺領の代官所の置かれたところである。現在は村の西端の山の麓に代官所についての案内板と石碑が建っているだけで面影はない。

 丸山神社は村の北の畑に囲まれた深い森の中にある。村の北端に灯籠と鳥居があり、そこから畑の中80mほど参道が続き丸山神社の森につく、随身門がある。門をくぐると参道がしばらく続き石の階段と社殿が見えてくる。サイノカミはその参道脇の立派な杉木立の前に立っている。

 山形の大きな自然石に直径67pの円形を穿ち、中に唐破風の屋根のある神殿の中に諾冊(だくさつ)二尊つまり伊弉尊(イザナギノミコト)と伊奘尊(イザナミノミコト)を薄肉彫りにしたもので、諾冊二尊はともにザンバラ髪で互いに内向きで見合っている。向かって右のイザナギノミコトは右手で宝剣を、左手で腰に差した刀の柄(つか)を握っている。左のイザナミノミコトは両手で宝珠を持っている。

 切り妻の破風と唐破風の二つの屋根があり、唐破風にはよく見ると鶴と亀が彫られている。二尊が乗る台座には鳳凰が刻まれていて、信州の道祖神にも見られない荘厳で格調高い造りである。



伯耆のサイノカミ(4)   岡成のサイノカミ
鳥取県米子市岡成270  「慶応3(1867)年」
 大山山麓から続く丘陵沿いの村で村の南に大山まいりの道(現在は中国自然歩道)が東西に延びている。その道の路傍に岡成のサイノカミがある。(近くには岡成神社の鳥居がある。)高さ69cm横長の自然石の中央の下部に正方形の浅い彫りくぼみをつくり、その中に諾冊二尊(イザナギノミコト・イザナミノミコト)を薄肉彫りしたものである。

 二尊は丸山神社のサイノカミの二尊と比べると頭部が大きく体も小太りの二尊である。二尊とも胸をはだけた着物姿で、長い髪を後ろに垂らしている。向かって右のイザナギノミコトは右手で宝剣を、左手で腰に差した刀の柄(つか)を握っている。左のイザナミノミコトは宝珠や扇などは持っていない。

 四角形の彫りくぼみの上には薄肉彫りで唐破風の屋根が彫られている。破風の下部分の飾りは、雲の重なりと口を開けた龍のように見える。左に、「慶応三卯三月吉日」の紀年銘がある。



伯耆のサイノカミ(5)(6)(7)   木野山神社のサイノカミ
鳥取県米子市尾高1349付近 「慶応3(1867)年」・「安永5(1776)」
 尾高は桃山時代までは町の東の丘陵の先端にあった尾高城の城下町であった。また、大山信仰の中心が古代より連綿と続く大神山神社の冬社(現在は大神山神社本社)が江戸時代初期に移された地でもある。尾高の町の大山まいりの道(中国自然歩道)沿いに黒住教の教会所があり、その横に木野山神社という小さな神社がある。その神社の境内に3基のサイノカミがまつられている。
 3基の内の1基は大きな三角形の自然石の一部を割って、その表面に彫りくぼみを作って、板状に双神を掘り出し、線彫りで細部を表したものである。岡成や丸山神社のサイノカミと同じく双神とも長い髪を後ろに垂らしている。向かって右の男神の顔はよく見ると天狗のように鼻が長い。イザナギノミコトではなく猿田彦神(サルタヒコノカミ)である。従って、左の神はサルタヒコノの妻とされる天鈿女命(アメノウズメノミコト)となる。猿田彦は道の分岐点を守り邪霊の侵入を阻止する神、つまり道祖神・塞の神として全国各地で信仰を集めていて、鳥取県では猿田彦と天鈿女命の双体神像は45基以上確認されている。このサイノカミは岡成のサイノカミと同じ「慶応3(1867)年」の造立である。
 伯耆のサイノカミの最古の紀年銘「安永五(1776)年申五月日」を持つサイノカミ。像高32pの小型で、顔の部分は摩滅しているが、素朴で愛らしいサイノカミである。いわゆる神祇像で、男神は風折烏帽子をかぶり笏を持ち、女神はおかっぱ頭(丸髷?)のような髪型である(持物は摩滅していてわからない)。
 残る1基も神祇像で丸い自然石に宮殿を板彫りと薄肉彫りで刻み、神殿の中に風折烏帽子をかぶり笏を持つ男神と、扇を持つ女神を薄肉彫りしたサイノカミである。女神は小さな笠(髪?)を被っているかのように見える。



伯耆のサイノカミ(8)(9)   御崎神社のサイノカミ
鳥取県米子市尾高1668付近  「慶応3(1867)年」
 3基のサイノカミのある木野山神社の400mほど北の、尾高の町の北の外れにあるフェンスとネットで囲まれた小さな公園があり、その奥にケヤキとイチョウの大木とともに鳥居が見える。そこが御崎神社で境内の左奥にサイノカミが2基ある。

 1基は巨大な石に高さ58pの凸の形の彫りくぼみをつくり、像高45pほどの男神と女神を浅く半肉彫りしたもので、男神は風折烏帽子をかぶり笏を持つ、女神は扇を持つ神祇像である。近くの木野山神社の猿田彦・天鈿女命のサイノカミ像や岡成のサイノカミと同じ「慶応3(1867)年」の造立である(「慶應三夘三月」刻銘)。隣にある小さなサイノカミは矩形の石材を枠取りするように、唐破風の屋根のある神殿を設けて、同じ笏と扇持ちの神祇像である。



伯耆のサイノカミ(10)〜(15)   亀甲神社のサイノカミ
鳥取県米子市淀江町中間
 淀江町は、鳥取県の西部、米子市の東に隣接する町である。平成の大合併により米子市に編入された。亀甲神社は国道9号線の「中間」交差点を南へ400mほど入った街の中にある小さな神社で、11基のサイノカミが境内の一角に集められている。この内9基は男女の双神で、1基はおかめの面、1基は男根石である。
 中央に高さ335cmの自然石に男女の神祇像を線彫り(頭部など一部はは薄肉彫り)で表したサイノカミがある。男神は冠をつけ笏を持つた座像、女神は垂髪で男神に寄り添うように座していて内裏びな像のように見える。磨滅がひどく、読み難いが、像の上に和歌が刻まれている。「ただびとにかみ いざしたまへ 才のかみさん」と読まれているとのこと。裏には「文化十三子(1816)忠佐衛門」とあり、淀江町のサイノカミの中で最古の年号を刻んでいる。
 線彫りのサイノカミはもう1基ある。立像であるがこの像も衣冠束帯、笏持ちの男神と、垂髪の宝珠持ち女神の神祇像で、お互いに見つめ合っている。
 矩形の石材に上部を双子山にした浅い彫りくぼみをつくり向かい合う男女の神を板状に掘り出し線彫りした像である。向かって右の男神は左手で腰に差した刀の柄(つか)を握っているように見えるので、神祇像ではなく諾冊像(イザナギノミコト・イザナミノミコト)ではないだろうか。
 おかめの面の像とタキシードとウェディングドレスの祝言像は平成2年に新たに付け加えられたものである。おかめの面は天鈿女命(アメノウズメノミコト)をあらわしたもので、これもサイノカミと考えられる。信州の双体道祖神は祝言像が中心であるが、伯耆のサイノカミでは見られない。この像は信州の祝言像を参考に像立されたものである。



伯耆のサイノカミ(16)(17)   三輪神社のサイノカミ
鳥取県米子市淀江町小波633
 11基のサイノカミがある淀江町中間の亀甲神社の南東0.6qに三輪神社がある。三輪神社は崇神天皇の時に国家鎮護の神として、大和国大神(おおみわ)神社から勧請したと伝承されている由緒ある神社で、随神門、向殿、弊殿、拝殿、神楽殿などの建物がある。手水舎の後ろに2基の神祇像と女陰石のサイノカミがある。
 女陰石を含む3基のサイノカミの真ん中にあるサイノカミで、駒形の自然石に宝珠の形の彫りくぼみをつくり、内裏びなのように並んで座す男女の神を半肉彫りしたものである。目を細めてうつむくように祈る男女の神の顔は童顔である。男女像の位置が他のサイノカミとは逆である。
 向かって左にあるサイノカミである。頂上が尖った山形の自然石に上部に屋根を設けた、彫りくぼみを設けて神殿とし、中に風折烏帽子をかぶり笏を持つ男神と、扇を持つ女神を薄肉彫りした神祇像のサイノカミである。



伯耆のサイノカミ(18)(19)(20)   壹宮神社のサイノカミ
〒689-3335 鳥取県西伯郡大山町上萬1124
 山陰道の淀江ICの北、車で5分ほどにある壱宮神社は「安産祈願」で地元ではよく知られた神社で、毎月、戌の日には、多くの妊婦やその家族が安産祈願に訪れる。天照大神の御子神の天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)や大国主命の娘で子授け、安産の守り神とされる下照姫命(したてるひめのみこと)などをまつる。

 壱宮神社の入口付近の境内の一画に、地域にあった7基ほどのサイノカミを集めている。サイノカミの前に青竹を2本建てその間に注連縄を張って待っている。
 おにぎりの形をした自然石に駒形の彫りくぼみをつくり、正面を向いて少し離れて立つ男女の神を浅く半肉彫りした神祇像である。男神は冠を被り、笏を持つ。女神は丸髷姿で男神と同じような衣装である。扇や宝珠などの持ち物は確認できない。男神はアンパンマンのような丸顔で首をかしげていて、若いというより幼い感じである。それに対して女神は姉様風である。今回のサイノカミの撮影で、鶴田神社のサイノカミとともに最も気に入ったサイノカミである。
 自然石の表面に円形の彫りくぼみをつくり、その中に冠を被り笏を持つ男神と宝珠を持つ女神を線刻であらわした神祇像である。まるで相合い傘のように神殿の屋根が刻まれている。
 このサイノカミも冠を被り笏を持つ男神と宝珠を持つ女神の神祇像で、こちらは唐破風の屋根のある神殿の中に半肉彫りしたものである。