福島の来迎供養塔1 下鳥渡(陽泉寺)来迎供養塔 | |||
福島県福島市 下鳥渡字寺東30番地 「正嘉2(1258)年 鎌倉中期」 史跡 | |||
福島市鳥渡の陽泉寺の境内の北側の林の中の覆堂に安置されている。福島中通りの薄肉彫りの迎供養塔群中の最古最優美作である。来迎印を結ぶ阿弥陀像を中心にして、 死者の魂をのせる蓮台をささげ腰をかがめる観音菩薩像を前方に、後方に合掌する勢至菩薩像が、蓮台に立ち、 雲足を後方になびかせる雲に乗って西方(右方)から下りる早来迎の様子をあらわす。 絵画的な図柄であるが、空間の奥行きが見事に出ていて、石の美を充分に生かした石仏である。 | |||
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福島の来迎供養塔2 長命寺来迎供養塔 | |||
福島県須賀川市畑田橋本 「弘長2年(1262) 鎌倉中期」 | |||
下鳥渡迎供養塔に次ぐ古いものである。福島県の浮き彫りの来迎石仏は、下鳥渡来迎供養塔に代表する早来迎と、正面する阿弥陀如来とやや下方に腰をかがめた観音・勢至菩薩を表現する石仏にわけることができる。 阿弥陀が正面に向く来迎石仏の代表作がこの像である。 下鳥渡像のような優美さはないが、 彫刻的に優れている。三尊をやや小さめに刻むことにより、空間をうまく生かしている。この供養塔の横には小型の来迎供養塔もある。 | |||
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福島の来迎供養塔3 前田川広町双式来迎供養塔 | |||
福島県須賀川前田川草地下 「鎌倉時代」 県指定重要文化財 | |||
リクシル須賀川工場の西0.5q、台地の突端部に覆堂を設けて祀られている。。正面する阿弥陀如来と、やや下方に観音・勢至を薄肉彫りした阿弥陀三尊像を二組並べた、双式来迎供養塔である。三尊とも飛雲の上にのり、右の観音菩薩は腰をかがめて蓮台を持ち、左の勢至菩薩は腰をかがめて合掌する。二組ともほぼ同じ大きさで、阿弥陀像は高さ35〜36p、両脇持は28〜29pである。 福島の来迎供養塔の中でも優れたものの一つで、県の重要文化財に指定されている。 |
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福島の来迎供養塔4 筑後塚双式来迎供養塔 | |||
福島県須賀川滑川東町 「鎌倉時代」 | |||
街道近くの筑後塚とよばれる平地の雑木林の中に祀られていたものであるが、柏城小学校がその地に建てられ、街道と旧道の分岐点に、種子板碑や二尊石仏とともに移された。現在、立派な覆堂がつくられ多数の板碑や石造物が集められている。 上記の前田川広町来迎供養塔と同じ双式の供養塔である。他に双式供養塔としては芦田塚の来迎供養塔がある。この供養塔は他の二基と比べるとやや小さい。前田川広町来迎供養塔と同じく、飛雲に乗った正面する阿弥陀如来と観音・勢至を薄肉彫りした阿弥陀三尊像を二組並べたものである。しっかりとした彫りであるか前田川広町来迎供養塔と比べると風化が進んで、右側の観音像を除いて、顔の部分は失われている。 |
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福島の来迎供養塔5 宝来寺(下宿)来迎供養塔 | |||
福島県須賀川市森宿下宿22 「鎌倉後期〜南北朝時代」 | |||
森宿の集落入口に宝来寺がある。その宝来寺の本堂前に、3基の来迎供養塔が立っている。 3基とも板石状の正面に凸字形に輪郭を作りその中に雲に乗った三尊像を刻む。 蓮台を差し出す観音と合掌する勢至は、 腰をかがめていて、 高いところから来迎する動きをうまく表現している。 左端の1基は、三尊とも左下へ向かう姿になっていて、左下には念仏信者をえがく。下鳥渡来迎供養塔と同じ、いわゆる早来迎で他の2基より動的な表現になっている。 | |||
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福島の来迎供養塔6 千用寺来迎供養塔 | |||
福島県須賀川市諏訪町92 「鎌倉時代」 | |||
千用寺は仁寺元年(851年)に慈覚大師(円仁)によって開山されたと伝えられる天台宗の古刹で、市役所や円谷英二ミュージアムなどのある須賀川市の中心部近くにある。古い堂塔はないが、立派な本堂や広い庫裏があり、元禄10年(1697年)に寄進された梵鐘は国の重要美術品に指定されている。 来迎供養塔はこの本堂の右手奥に江戸時代の墓塔などとともに並べられている。総高100p、下幅49p、厚さ最大23pの安山岩の山形の自然石の正面に凸型の彫りくぼみをとり、その中に飛雲の上に立つ、正面を向いた来迎相の阿弥陀如来(像高40p)、その右下に腰を少しかがめて左斜め下を向いて蓮台を捧げた観音(像高25p)、左下に腰を少しかがめて右を向く勢至(像高27p)の三尊が浮き彫りされている。 |
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福島の来迎供養塔7 仁井田双式来迎磨崖仏 | |||
福島県岩瀬郡鏡石町仁井田 「鎌倉時代」 | |||
小さな墓地の上の崖に浅い龕が彫られていて、その中に、阿弥陀来迎三尊像を2組、半肉彫りした双式来迎磨崖仏である。両三尊とも阿弥陀如来像は像高約31p、観音・勢至の両脇持は像高約22pである。磨崖仏の阿弥陀三尊は二本松市黒塚、泉崎村観音山、白河市表郷町硯石などにあるが、双式はこの磨崖仏のみである。嘉歴四年(1329)の墨書名を県文化財専門委員委員の田中正能氏が発見されているが現在は確認できない。 | |||
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福島の来迎供養塔8 袋田来迎供養塔 | |||
福島県須賀川袋田西の内 「鎌倉時代」 | |||
向袋田の集落の北、竹藪の中の簡素な阿弥陀堂の中に祀られている。搭高の163pの大型の来迎供養塔である。蓮座の上に立つ正面を向いた来迎相の阿弥陀如来と下方左右に腰をややかがめて向かい合って立つ観音・勢至を半肉彫りする。 早くから堂内に祀られていたと思われ、保存状態はよく、阿弥陀の納衣の衣紋などがよく残っている。弘長2年(1262)の在銘の残る長命寺来迎石仏とよく似ていて、同じ頃の作と思われる。蓮華座や脇侍の肉身部などに白色顔料の跡が残り彩色されていたことが伺える。 |
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福島の来迎供養塔9 永禄寺来迎供養塔 | |||
福島県須賀川市今泉町内103 「鎌倉時代」 | |||
永禄寺は今泉の集落の東の端にある曹洞宗の寺院である。来迎供養塔は本堂の左側を通って奥へ150mほど入った山裾に立てかけられている。搭高の93pの来迎供養塔である。飛雲の上に立つ正面を向いた来迎相の阿弥陀如来と下方左右に腰をややかがめて立つ脇侍の観音・勢至を半肉彫りする。 合掌する勢至像は他の来迎供養塔と同じように、正面より斜め半身の姿勢をとるのに対して、観音像はほとんど真横を向いた姿勢をとって変化をつけている。中通り地区の浮き彫りの来迎供養塔の多くは輪郭を残して内側を彫り窪めて、その中に三尊像を浮き彫りにしていて、輪郭は凸字形または矩形であるが、永禄寺来迎供養塔は凸形の上を三角の山形に尖らせている。 |
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福島の来迎供養塔10 観音山磨崖来迎供養塔 | |||
福島県西白河郡泉崎村踏瀬観音山 「鎌倉時代」 | |||
二瀬川の北岸の断崖に、巾約30mの枠を7段に設け、内部に石造塔婆や板碑を約320余基、浮彫りした搭婆群である。地元では俗に「踏瀬の五百羅漢」と呼ばれいる。現在は東北自動車道の陸橋の下になっている。その供養搭婆群の中心となっているのがこの磨崖来迎供養搭である。 磨崖来迎供養搭は、頭部を山形にし額部・根部を持つ高さ102p、巾44p〜53pの板碑を深く彫りだして、板碑の身部に、阿弥陀三尊を薄肉彫りにしたものである。頭部をやや前に傾けて、身体をやや横にひねって立つ阿弥陀像と、腰をかがめ蓮台を持つ観音と合掌する勢至の両脇侍は左の方に向き、飛雲に乗って来迎する様子をあらわしている。像の彫りは、押型状の平板なもので衣紋等は刻まれていない。造立当時は彩色されていたものと思われる。 |
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福島の来迎供養塔11 硯石来迎阿弥陀三尊磨崖仏 | |||
福島県白河市表郷番沢硯石 「江戸時代」 | |||
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福島の来迎供養塔12 長慶寺来迎供養塔 | |||
福島県石川郡玉川村大字小高池ノ入92 「鎌倉時代」 | |||
この阿弥陀三尊来迎供養塔は長慶寺の山門前に西面してたっている。 二重光背形に彫りくぼめを作り、 そこに阿弥陀座像を薄肉彫りする。蓮弁と観音・勢至の両菩薩は線彫りである。 郡山から須賀川にかけて見られる浮き彫り像とは違った様式の来迎石仏である。 | |||
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福島の来迎供養塔13 川辺墓地来迎供養塔 | |||
福島県石川郡玉川村川辺 「南北朝〜室町時代」 | |||
玉川村川辺の国道118号線の西の小さな丘陵の東南部にある川辺墓地の矢部家(川辺八幡宮宮司家)の墓所の後ろの斜面に立てられている阿弥陀来迎三尊像である。蓮華座の上に立つ阿弥陀如来は薄肉彫りで二重の頭光と放射光を背負う。両脇持も薄肉彫りで早来迎の形式で右下方を向いている。本尊が正面を向いているのでややアンバランスに見える。陽泉寺来迎供養塔などと比べると立体感に乏しく来迎供養塔としては時代下ると思われるが、摩滅も少なく素朴な魅力がある供養塔である。 | |||
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福島の来迎供養塔14 岩峯寺(観音山)来迎供養塔 | |||
福島県石川郡玉川村大字岩法寺字竹ノ内 「鎌倉時代」 | |||
福島県の来迎塔の多くが浮き彫りであるが、石川郡周辺には関東と同じような、陰刻の来迎塔の造立が見られる。その中でも優れたものの一つがこの岩峯寺(がんぽうじ)来迎供養塔である。観音山山頂付近の岩峯寺奥の院の観音堂の近くの石堂の中に祀られていたものである。観音山は福島空港建設にともなって山頂部分が削り取られ、奥の院の観音堂も麓に移された。現在は大日如来真言供養塔・陽刻の来迎供養塔などの4体の板碑と一緒に境内の隅に並べられている。 勢至菩薩(像高22p)と観音菩薩(像高22p)を引き連れて早来迎する阿弥陀如来(像高34p)を一部を浮き彫りにして陰刻で表したものである。向かって右端には袂を大きくひるがえして合掌する念仏行者が表されている。 |
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福島の来迎供養塔15 安養寺来迎供養塔 | |||
福島県石川郡石川町沢井東内打305 安養寺 「応長2(1312)年 鎌倉時代」 | |||
安養寺は貞観15(873)年に開山された後、天正元(1573)年に現在地に再建された、天台宗の古刹である。しかし、現在は数十段の石段と小さな本堂が残るのみで往年の面影はない。石段の周りには多くの石造物が見られる。その多くは近世から近代にかけてのもので、庚申塔・淡島像・十王像・奪衣婆など当時の庶民信仰がうかがえるものがたくさんある。 その中で唯一、安養寺の古い歴史を物語っているのがこの来迎供養塔で、応長2(1312)年の紀年銘が残っている。岩法寺来迎供養塔と同じく、勢至菩薩(像高21p)と観音菩薩(像高212p)を引き連れて早来迎する阿弥陀如来(像高33p)を一部を浮き彫りにして陰刻で表したものである。阿弥陀の白毫より発する二条の光明の下に、合掌する念仏行者が彫られている。 |
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福島の来迎供養塔16 致道博物館来迎供養塔 | |||
山形県鶴岡市家中新町10-18 「鎌倉時代」 | |||
致道博物館は庄内藩主酒井氏の後用屋敷跡に作られた博物館で、明治初期の洋風建築や茅葺き屋根が見事な民家などの歴史的な建造物が移築されている。御用屋敷の庭は現在も残っていて、そこに数体の石仏が置かれている。この供養塔はそのうちの一体で、もとは福島県郡山市にあったものである。須賀川・郡山地方の典型的な姿の阿弥陀三尊来迎供養塔である。 地上高79p、下幅60p、厚さ19pの凝灰岩の石材の表面いっぱいに凸型の深さ1.5pの彫り窪めをとって、その中に飛雲の上に立つ、阿弥陀三尊を浮き彫りした供養塔である。本尊阿弥陀如来は正面を向いた来迎相(像高38p)で、脇侍の観音は本尊の右下に腰を少しかがめて左斜め下を向いて蓮台を捧げ、脇侍の勢至(像高27p)は本尊の左下て腰を少しかがめて右を向く。 |
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