矢田寺見送り地蔵 永正12(1515)年 室町時代 |
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・奈良県大和郡山市矢田町3549 | ||
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矢田山金剛山寺は「矢田のお地蔵さん」で親しまれている寺院で矢田寺と一般に呼ばれている。下記のような縁起が残っていて地蔵信仰のメッカとして有名。 平安時代前期、矢田寺の満米上人が閻魔王庁に招かれて、菩薩戒を授けたという。そのあと地獄で、衆生に代わって 責苦を受ける地蔵菩薩を拝し心を打たれ、帰ってすぐにそのお姿を刻もうとしたが、 思うようには彫れなかった。 しかしある日、上人の前に春日明神なる四人の翁が現れ、地獄で見た地蔵菩薩を作ったという。 このような縁起の持つ地蔵が矢田寺本堂にまつられた地蔵で、左手に宝珠を持ち、右手は阿弥陀の来迎印のように親指と人差し指を結んだ独特のスタイルの地蔵である。現在、このような姿の地蔵を 「矢田型地蔵」と呼んでいる(寺に伝わる矢田地蔵縁起絵巻には、宝珠を持たない姿も描かれている。) 境内には多くの地蔵石仏があるが多くはこの「矢田型地蔵」である。参道階段の途中に立つ「見送り地蔵」が矢田寺では最も古い永正12(1515)年の紀年銘を持つ。「見送り地蔵」とは、地蔵前の石垣内に置かれた石より、春日四明神を見送ったという故事によるものである。右手は親指と人差し指を結んだ阿弥陀の来迎印で、左手は指を丸め宝珠を持つような形であが、宝珠は持っていない。この姿は、春日明神の本地仏の地蔵の姿であるといわれている。 |
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