大和の地蔵石仏(4)  田原本町・桜井市・大和高原1

 大和盆地の中央部、田原本町の松本という集落の地蔵堂に鎌倉末期の地蔵石仏が安置されている。船型光背を背負った像高1m足らずの厚肉彫りの地蔵菩薩である。紅葉の名所として知られる桜井市の多武峰(談山神社) の近くの八井内に不動橋近くの岩に半肉彫りされた地蔵磨崖仏がある。

 大和高原は、奈良県東北部の高原地帯で春日石窟仏の地蔵磨崖仏や七廻峠地蔵石仏など平安後期から鎌倉時代にかけての優れた地蔵石仏が多くある。大和高原の北部は奈良市で柳生街道に沿って多くの磨崖仏・石仏がある。

 奈良市高畑町から石畳の滝坂道と呼ばれる柳生街道をしばらく進むと谷沿いの岩肌に朝日観音と呼ばれる磨崖仏が見られる。観音と呼ばれるが弥勒仏で鎌倉中期の作である。この弥勒仏の左右に地蔵菩薩が彫られていて向かって左の地蔵は弥勒物と同じ作者と思われる。右の像は追刻で室町初期の作。

 朝日観音から少し戻り、東側に少し登った所の岩の上部に滝坂地蔵と呼ばれる美しい地蔵磨崖仏がある。鎌倉後期の作と思われる。滝坂道の一番奥の三差路に、荒木又右衛門が試し切りしたという伝説のある首切り地蔵と呼ばれる鎌倉時代の地蔵石仏がある。

 首切り地蔵から柳生街道をしばらく進むと、街道の北側の尾根沿いの通称、穴仏と呼ばれる平安後期の春日石窟仏がある。東西二つの石窟から成り立っていて、東窟には六観音・六地蔵などが彫られていたと思われる。その内、地蔵4体がほぼ原形をとどめている。

 柳生城下の手前の山道の露出した大きな岩に顔の部分が剥落していたため疱瘡地蔵と呼ばれていた地蔵磨崖仏が彫られている。鎌倉後期の作で、横に、正長の土一揆の徳政碑文が彫られている。