白毫寺地蔵十王石仏 南北朝時代 |
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・奈良市白毫寺町392 | ||
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白毫寺は高円山のふもとにあり、雲亀元年(715)志貴皇子の没後、その地を寺としたのに始まると伝えられ古寺で、鎌倉時代に再興され、閻魔堂や地蔵堂が建てられ、人々に地獄の恐ろしさを教えるとともに、極楽往生のための教えを広げる寺として栄えた。現在でも阿弥陀像や地蔵像とともに閻魔王像や太山王像など冥府に関する諸尊が残っていて、寺の行事として「えんまもうで」もおこなわれている。石仏もそのような信仰に関わるものが多い。 天然記念物の五色椿が植えられた境内の片隅にある十王地蔵石仏は、厚肉彫りの地蔵石仏で左手で宝珠を持ち、右手に錫杖を持たず阿弥陀来迎印を結んだ姿の地蔵像である。光背は七条の放射光を刻んだ頭光と、左右に秦広王・初江王・宋帝王・五官王・閻魔王・変成王・泰山王・平等王・都市王・五道転輪王の十王を薄肉彫りした身光の二重円光である。地蔵と阿弥陀の両徳を備えた地蔵を中心に、人が死後、罪の審判を受ける十王を配して、地蔵を拝むことにより、極楽往生を願って造立されたものである。 白毫寺墓地にあったこの像とほぼ同じ姿・寸法の鎌倉時代の地蔵菩薩の残欠が横に置かれていて、その像を南北朝時代に再建したものがこの十王地蔵石仏と思われる。 <清水俊明著 「大和の石仏」 創元社>参照 |
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