田の神さあ 薩摩(10) 鹿児島市・南さつま市金峰町

 肥田の田の神は一枚岩に深く舟形の彫り込みをいれ、その中にメシゲと椀を持ってしゃがみ込んでいる田の神を半肉彫りしたものである。梶原迫の田の神は丸彫りの田の神で袴姿でメシゲと椀を持った清楚な姿の田の神である。蕨野の田の神「寛政12(1800)年」は右手でメシゲをかかげ、飯を盛った椀を左手で抱えるように持って田の神舞を踊る姿を表したものである。  

 札下の田の神「享保12(1727)年」・森園の田の神「安永10(1781)年」は手やシキの一部など欠き、風化が目立つ田の神であるが、動きのある像で田の神舞をする姿を表したものである。川口の田の神は腰かけた姿で、コシキをかぶり右手にメシゲを持っている。入来の田の神は薩摩半島でよく見られる頭巾風のシキかぶった、僧型立像の田の神である。廃仏毀釈のためか顔の部分が壊されている。  

 南さつま市金峰町には魅力ある田の神像が多くある。右手に鍬、左手にメシゲを持ち、ワラヅトを背負った田の神である。白川東の田の神白川西の田の神扇山の田の神浦之名の田の神がそれである。また、台石だけでなく蓮華台にのる田の神が多いのも特徴である。

 その中でも最も古いのが白川東の田の神で、享保5年(1720)年の紀年銘がある。首から上が大きく破損しているが残念である。白川西の田の神は右手に持つ鍬の刃先の向きが他の像とは違って左向である。扇山の田の神はキャブ状のシキををかぶった像高53pの小さな像で、文化7(1810)年の紀年銘がある。 浦之名の田の神、は、鍬、メシゲ、ツト持ちの田の神像である。寛政12(1800)年の紀年銘を刻む。
 
 京田の2体の田の神は中田尻の田の神や宮崎の田の神、山田の田の神などと共通した様式の僧型立像の田の神であるが、持ち物が鍬やメシゲではなく麻の葉を持つ。右の像が古く、左はそれを模して作ったものである。左の像は平面的で着衣などは浅い線彫りになっている。「享保16(1731)年」は左の像の台石にある紀年銘であるが、古い方の像のものと思われる。
 
 宮崎の田の神「享保17(1732)年」(県民俗資料文化財)は山田の田の神や中田尻の田の神などと同じように頭巾風にシキをかぶり、メシゲと先がカギ状に曲がった小さな鍬のようなものを持つこけしのように円筒形に作られた田の神である。