田の神さあ 薩摩(7) 日置市

 日置市東市来町湯田の皆田地区には昭和になって作られた田の神の秀作がある。一つは堅山の田の神で、右手で魚のような形をした大きなメシゲをかかげ、左手で大盛りの飯椀を持った田の神で、野良着ような着衣で、袴をはいていない。大きな手て今までの苦労を噛みしめ静かに笑っている無骨な働き者の農夫という印象の田の神である。昭和63年(1968)の記銘がある。皆田西の田の神もよく似た表現の像で、堅山の田の神以上に大きな゜メシゲをかかげている。顔は堅山の田の神より穏やかな表情である。堅山の田の神と同じ頃、同じ作者によって作られた田の神ではないだろうか。堅山にはもう一体、田の神像がある。この田の神は昭和に作れた2体の田の神のような凝った田の神像ではなく素朴な表現の像である。

 日置市東市来町には2体の県指定有形民俗文化財に指定された田の神像がある。一体は養母の田の神で、神像型立像で笏を持ち冠をかぶる像である。下に垂れる纓(えい)も表現している。坂下の田の神より保存状態はよく、憤怒相の顔が残っていて、長い袖などの着衣の線も伸びやかで神像型立像の田の神を代表する像である。明和6年(1769)の紀年銘がある。横にはもう一体、神像型立像の田の神像がある。

  もう一つは湯之元の田の神で、表情豊かに笑っていて、大きな笠状のシキをかぶり、右手にメシゲ、左手に椀を持つ田の神で、メシゲは笠状のシキの上にのせている。袴は前から見ると裁付袴で後ろから見ると長袴になっている。元文4年(1739)の記銘がある。

  笠ヶ野東の田の神は、自然石に舟型の彫り窪みをつくり、大きなメシゲを持つ田の神を半肉彫りにした田の神で、宝暦7(1757)年の紀年銘がある。扇尾の田の神は両手が破損していて持ち物がわからないが、メシゲと椀を持った像と思われる。