田の神さあ 薩摩(5) 薩摩川内市

  薩摩川内市の陽成小学校区・水引小学校区は旧川内市の中でも、男女並立型浮き彫り像の田の神像が特に集中している所である。陽成町には「田の神さあ 薩摩(3)」の4基以外に男女並立型浮き彫り像の田の神像が本川にある(本川白谷の田の神)。深く彫り窪みをつくり、烏帽子・裃姿で扇子と椀を持つた像(左)と、シキを被りメシゲを持った像(右)が半肉彫りした田の神像である。

 水引小学校の校区には13基の男女並立型浮き彫り像の田の神像が確認されている。最も古い像が水引町湯原の田の神像で寛保3(1743)の刻銘がある。また、大正時代の男女並立型浮き彫り田の神像が網津の田の神岩下橋付近の田の神月屋の田の神1など6基あり、湯島町の石工、江畑重助の作である。網津集会所の裏にある網津の田の神は半円形に加工した石に彫り窪みをつくり、陣笠のようなものを被ったメシゲと握り飯を持った像(右)、両手でキネを持った像(左)を半肉彫りしたもので、共に着物姿である。岩下橋付近の田の神月屋の田の神1も着物姿の像で、共に右が陣笠のような帽子を着た両手キネ持ち像、左がシキを被りメシゲを持った像である(岩下橋付近の田の神はメシゲと握り飯を持ち、月屋の田の神1は両手でメシゲを持つ)。

 月屋の田の神2は、男女別々の枠に浮き彫りされていて、右像は陣笠のようなものを被り、袴姿で両手でキネを持って俵の上に立ち、左像はシキを被り、両手でメシゲを持つ田の神像である。水引小学校付近にある草道上の田の神は高さ71p、幅96pの幅広の自然石に四角形の彫り窪みをつくり、両手でキネを持つ像と、両手でメシゲを持つ像を半肉彫りしたものである。網津町にある井上の田の神は一石双体の丸彫りの田の神である。シキを被って両手でメシゲを持った像(左像・女神)と袴姿でスリコギと椀を持った像(右像・男神)である。残念なことに男神の頭部は欠損している。天保11(1840)年の刻銘がある。

 消防団の格納庫の隣にある小倉の田の神は右手にメシゲ、左手に椀を持った農民型の田の神である。宮内町の宮内橋付近の田の神は文化14(1817)の刻銘を持ち、薩摩川内市の男女並立型浮き彫りの田の神像を代表する一つである。高さ95p、幅90pの四角形の石に四角形の彫り窪みをつくり、袴姿で大きなメシゲを捻るように持った像(右)と着物姿のメシゲとスリコギを持った像(左)を浮き彫りにしたものである。
  
 宮里町の4体並んだ宮里の田の神の右から2体目も、男女並立型浮き彫り像の田の神である。宮里の田の神の右端の田の神は大きなシキをかぶり、大きなメシゲと椀を持つ、やせた体躯で細長い顔の田の神である。火扇公園にある中郷の田の神は大きな石に舟形の彫り窪みをつくり、その中にかがみ込むようにして右手にメシゲをかかげた像を半肉彫りした像で、昭和4年(1929)の作である。

 薩摩川内市立歴史資料館の庭には3体の田の神像が並んで展示されている。これらの像は薩摩川内市平佐町の中ノ原地区から寄贈されたものである。中央の一体は右手にメシゲを持ち、冠をかぶった神像型立像という珍しい像である。冠をとめる簪が大きく表現されているため、頭に十字架をつけているように見える。