守屋貞治の石仏
 
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光前寺の賽の河原と
サイノ河原地蔵尊

海岸寺百体観音(千手観音)

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  江戸時代の石仏の魅力は修那羅の石神仏や因島白滝山の石仏に代表されるような、教典や儀軌にとらわれない自由奔放な表現にある。もちろん、江戸時代の石仏が全て教典・儀軌にとらわれず、制作されたわけではない、多くは儀軌に則りつくられた、地蔵や観音などの石仏である。しかし、教典・儀軌にとらわれているがゆえに、形式化して非個性的なものになってしまっている。

  そのような江戸時代の石仏の中で、教典・儀軌に基づいて写実的な表現で制作し、しかも、形式化に陥らず、個性的である種の精神性を感じられる石仏がここに紹介する、 高遠の石工である守屋貞治の彫った石仏である。

  守屋貞治(1765〜1832年)は、 長野県の高遠町に生まれ、十四、五歳の頃から石工の修行に励み、 二十代で自立して以来、 六十八歳で大往生するまでの間に、三百四十体余の石仏を残した。

  貞治に大きな影響を与えたのは上諏訪の温泉寺の住職・願王和尚で、貞治の彫技と人物を深く愛し、彼の大作には偈や讃を書き与えて彫りつけさせ、布教の先々では彼を推薦紹介した。貞治は仏門に帰依し、香を炊き、念仏を唱えながら、ひたすら彫像に励んだという。

  そのような貞治の姿勢が、彼の天性の素質と培われた彫技とあいまって、次々と傑作を生みだしたのである。

 



光前寺の貞治仏

・長野県駒ヶ根市赤穂
・JR飯田線駒ヶ根駅よりバス「光前寺前」下車徒歩2分            

 宝積山光前寺は、天台宗の寺で、貞観2年(860)に本聖上人によって開基されたれたという古刹である。信州では、善光寺につぐ大寺で、鎌倉・室町期の庭園をはじめ、三重塔・本堂・三門 などが、樹齢数百年をこえる杉の巨木の間に建ち並び、往時の盛況を偲ばせてくれる。
 この寺に残っている貞治の石仏は、三陀羅尼塔并四天王・阿弥陀如来・賽の河原地蔵尊・地蔵菩薩像の4体で、貞治が四十代に彫った作品で、従来の石仏の域から、貞治独自の造形仏へと、 踏み込み始めた事を明確に体現した優作である。

 三陀羅尼塔并四天王は貞治作の塔としては唯一のもので、 最上軸部の四隅には、四天王がたっている。本堂前の池泉の横にある地蔵菩薩像は、三陀羅尼塔と同じ文化元年、貞治が四十の時の作で、基壇には願王和尚の讃が彫られている。

  賽の河原地蔵尊は、光前寺の奥まったところ、 人知れず寂しい杉林の中にある。 貞治作の地蔵を中心に小さなお地蔵さまが幾体も並んでいて、 それらの地蔵の膝や頭の上には小石が積まれている。また、貞治作の地蔵の膝元には、小石を積み重ねている童子が彫り出されている。「地蔵和讃」の世界がここにある。

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三陀羅尼塔

賽の河原地蔵 賽の河原地蔵

賽の河原地蔵

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地蔵菩薩像 地蔵菩薩像 阿弥陀如来 阿弥陀如来


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駒ヶ根の貞治仏

・長野県駒ヶ根市赤須町、上穂町、東伊那大久保、赤穂福岡西、赤穂福岡東
・JR飯田線・「駒ヶ根」駅下車西へ600mで安楽寺。「太田切」駅下車南へ250mで北ノ原墓地。「太田切」駅下車東へ3.1qで光善寺。「伊那福岡」駅下車北へ650mで福岡東墓地。そこから西へ400mで福岡西墓地。「伊那福岡」駅下車南西へ800m小町屋不動石仏。      

 駒ヶ根市には光前寺以外に30体近い貞治仏がある。善福寺・安楽寺・大蔵寺の貞治仏と道標を刻んだ2体の不動石仏以外は原家や小谷家・中島家・福沢家などの依頼で個人の墓地などに祀られたものである。制作年代も幅広く、貞治が三十代に彫ったと思われる上赤須の福沢家墓地の延命地蔵をはじめとして四十・五十・六十代の各時代の貞治仏が存在する。絶作となった、聖観音自在菩薩も駒ヶ根市の小町谷家にある。

 安楽寺の丸彫りの如意輪観音は小像ながら丁寧に彫られた如意輪観音の集大成ともおもわれる像で貞治、66歳の作である。北ノ原墓地にある原家の十一面観音は貞治41歳の作で、十一面観音の処女作である。やさしい初々しい顔の像である。

 東伊那の善福寺には4体の貞治仏があり、その内2体は裏山の西国三十三観音石仏で、十八番六角堂の如意輪観音と十一番上醍醐の准胝観音である。共に貞治四十代半の作で丸顔で力強い表情である。また、本堂の前庭には穏やかな表情の聖観音座像が祀られている。

 貞治の四十代の代表作の一つは福岡西の福沢家墓地にある准胝観音である。丸彫りで諸手を光背に彫りつけず、一つ一つ独立して彫っていて、高い技量が伺える作品である。微笑みを浮かべた穏やかでひきしまった顔もすばらしい。福岡東墓地には2体の貞治作の聖観音像がある。墓の片隅に西向きに坐す聖観音像は貞治の三十代の作で、単体聖観音像の処女作である。墓地入口に東向きに坐す聖観音像は貞治49歳の作で、左手でf蓮の葉と未敷の蓮華を持ち、右手を蓮華に軽くそえている。五十代の重厚な表現につながる秀作である。

 国道153号線沿いに2体の道標を兼ねた貞治作の不動石仏があると本で調べて見にいったが、旅の最後で時間がなく、国道から少し離れた所に移された一体しか見ることができなかった。

如意輪観音

如意輪観音 十一面観音 十一面観音 聖観音 如意輪観音
如意輪観音 准胝観音 准胝観音 准胝観音 准胝観音 聖観音
聖観音 聖観音 聖観音 不動明王 不動明王

 

 

海岸寺の貞治仏

・山梨県北杜市須玉町上津金
・JR中央線韮崎駅または長坂駅よりバス「上津金」行きバス終点下車徒歩約50分      

 八ヶ岳の南、津金山の南腹に構える海岸寺は、行基菩薩が庵をひらいたのが始まりという古刹である。 応安年間(1368〜1375年)に鎌倉・建長寺より石室善玖和尚を招いて、律宗から、臨済宗に改め、海岸寺の開祖としたという。海抜約千mの位置にあり、 南アルプスの連峰と相対する眺望を誇っている。

  古い歴史を物語る長い石段を登ると、まず目にはいるのが江戸時代の観音堂や本堂・経堂などの伽藍とともに秩父三十四観音石仏である。本堂前と観音堂参道西側には西国三十三観音石仏と延命地蔵尊、本堂西側には板東三十三観音石仏が並んでいる。観音堂の右前には丸彫りの延命地蔵が、上段墓地には墓石に刻まれた半肉彫りの延命地蔵がある。
 
 これらの石仏は一部を除いて、全て、守屋貞治が、 願王和尚と親交のあった桃渓和尚の依頼を受け、文政12年頃から8年の歳月をかけて彫ったものである。貞治の代表作といってもよい作品群で、油が乗り切り、気力充実した50代の傑作である。

 須玉町には海岸寺の貞治仏の他に5体の貞治仏がある。その内の一体は須玉町江草にある大作の佉羅陀山地蔵菩薩である。
 

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千手観音

十一面観音 如意輪観音 如意輪観音 千手観音
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佉羅陀山地蔵尊 佉羅陀山地蔵尊 准胝観音 十一面観音 十一面観音
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如意輪観音 千手観音 馬頭観音 不空羂索観音 如意輪観音
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千手観音

延命地蔵

延命地蔵 佉羅陀山地蔵尊 佉羅陀山地蔵尊


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高遠の貞治仏

・長野県上伊那郡高遠町西高遠(建福寺)  ・高遠町東高遠(桂泉院)   ・高遠町勝間
・JR飯田線伊那北駅より「高遠」行きバス終点下車 徒歩5分(建福寺) 徒歩30分(桂泉院) 

 城下町高遠は、 「桜の高遠」として知られ、春は残雪の南アルプスの下、城跡の桜が一時に開き、連日花見客で賑わう。 絵島生島の哀話で知られる地でもある。 また、石工の里としても知られている。

  江戸時代の高遠藩は小藩であり、財政的にも非常に苦しかった。そのため、 藩の政策として、耕地面積の少ない山間部の農民に対して、石工の旅稼ぎをすすめていた。 そのため、石工が全国各地へ散り、高遠石工の名声を高めた。その一人が、守屋貞治である。

 高遠の城下町を見下ろす高台にある建福寺は、城主保科氏の菩提寺であり、臨済宗の名刹として知られている。この建福寺には、貞治の石仏として、西国三十三ヶ所観音や延命地蔵尊・願王地蔵尊などがある。西国三十三ヶ所観音は貞治、50代の秀作である。願王地蔵尊は願王和尚を偲んで貞治が66歳の時に万感をこめて完成させた傑作である。

 高遠城跡の東にある桂泉院にも延命地蔵尊と准胝観音の二体の貞治の石仏がある。貞治五十六歳の時の作である。 
 
 高遠を流れる三峰川は、たびたび洪水をおこした。その氾濫を鎮めるために、水切り不動として造立したのか、高遠町勝間の 常盤橋西袂にある、全長1.5mの大聖不動明王である。貞司の最高傑作の一つである。

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延命地蔵尊
(桂泉院)

准胝観音
(桂泉院)
千手観音
(建福寺)

如意輪観音
(建福寺)

千手観音
(建福寺)

十一面観音
(建福寺)

馬頭観音
(建福寺)

願王地蔵尊
(建福寺)

大聖不動明王
(常盤橋西袂)

大聖不動明王
(常盤橋西袂)


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温泉寺の貞治仏

・長野県諏訪市湯の脇 1-21-1
・JR中央線上諏訪駅下車      

 温泉寺は臨済宗妙心寺の末寺で高島藩の二代藩主・諏訪忠恒によって慶安2年(1649)に創建された。忠恒からの諏訪氏歴代の墓がある。この温泉寺の住職であったのが、守屋貞治が師として仰いだ願王和尚である。若き貞治は、温泉寺で願王和尚に仕え、雲水として仏道修行に励んだと伝えられている。

  温泉寺には貞治の石仏が多数ある。旧参道沿いの覆屋には西国三十三所観音石仏が安置されている。天保2年(1831)、貞治の最晩年67歳から制作されたもので眼病悪化のため23体で中断され、後は弟子に引き継がれた。また、堂内にあるきゃ羅陀山地蔵大菩薩も貞治60代の作である。ともに昇華された精神性をたたえた気品漂う傑作である。

 願王地蔵大菩薩は、本堂の裏山、歴代住職の墓所にひっそりとたたずむ。願王和尚の墓標として、貞治が全精魂を傾けて彫った貞治の最高傑作である。願王和尚の慈悲に満ちた姿を彷彿とさせる地蔵菩薩である。文政12年(1829)、貞治65歳の時の作である。       
 歴代住職の墓所への登り口にたつ、延命地蔵尊は早世した願王和尚の高弟素省の墓碑として建立されたもので、貞治の50代の作である。

 この他、山門脇の延命地蔵大菩薩をはじめとして、温泉寺境内や裏山の管理墓地にある貞治仏は、いずれも貞治の円熟期から晩年にかけての石仏群で、貞治独自の造形世界をかいま見ることができる。貞治の弟子の作と思われる地蔵石仏もある。 

願王地蔵 願王地蔵 願王地蔵 願王地蔵 延命地蔵 延命地蔵

延命地蔵 地蔵

地蔵

延命地蔵大菩薩 延命地蔵大菩薩 不空羂索観音

馬頭観音

如意輪観音

如意輪観音 千手観音 千手観音 聖観音


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深叢寺の貞治仏

・長野県諏訪郡原村中新田13512  深叢寺   
・JR中央線「茅野」駅より「美濃戸口」行きバス乗車、「中新田」下車。
 深叢寺(しんそうじ)は、元和4(1618)年に原村新田(現原村中新田)の村人達がこぞって檀徒となって開かれた臨済宗妙心寺派の寺院である。2代目高島藩主、諏訪忠恒によって「福寿山 新相寺」から現在の「御射山 深叢寺」に改称され、高島藩の庇護のもと栄えた寺である。明治年間に、中新田の村に大火があり、堂宇はほとんど焼失した。現在の本堂は平成になって再建されたものである。この深叢寺に2体の守屋貞治の石仏が残されている。十三仏と辨財天像である。

 十三仏は文政2(1819)年、貞治が55歳の時に造立されたものである。延命地蔵を主尊にした全高、2.6mの大作の十三仏搭である。基壇、基礎、請花を設けて、搭身部分の三面に不動明王・釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩・弥勒菩薩・薬師如来・観世音菩薩・勢至菩薩・阿弥陀如来・阿閃如来・大日如来・虚空菩薩の十二体を刻み、その上に地蔵菩薩をのせて十三仏としている。惜しいことに、石質がもろいためか、大火の影響か、延命地蔵尊は摩耗が目立ち、目鼻立ちがはっきりしない。

 辨財天は本堂南側の庭の池のふちに安置されている。八臂像で、弓・矢・剣・宝珠などを持つ。小さな像であるが、貞治仏らしい端正な顔だちが印象的である。貞治が晩年に彫造した石仏を記録した『石仏菩薩細工』には「辨財天 諏訪中新田村深草寺」との記あり(336躯の石仏中67番目)。

十三仏

十三仏(延命地蔵) 辨財天 辨財天

辨財天

 


伊勢の貞治仏

・三重県伊勢市朝熊町岳548金剛證寺   ・三重県志摩市志摩町片田片田共同墓地
・近鉄鳥羽駅下車、三重交通バススカイライン経由内宮行きで36分、バス停:金剛證寺下車 
・近畿日本鉄道鵜方駅下車、三重交通バス御座港行きで36分、バス停:片田新開下車  
 風光明媚なリアス海岸がつづく志摩市(平成16年10月1日に磯部・阿児・浜島・大王・志摩の五町が合併して志摩市が誕生)の志摩町片田の海の見える共同墓地に貞治の61歳の作である地蔵石仏がある。右頬に手を置き左手で宝珠を持つか羅陀山地蔵菩薩で、もとは伊勢河ア宝珠院にあり、廃寺となった宝珠院より明治4年にこの墓地に移したものである。太平洋を望む墓地の高台に置かれている。

 金剛證寺は、朝熊山の山頂にある空海ゆかりの古刹で伊勢神宮の鬼門を守る寺としても有名である。参道に追善供養の卒塔婆が林立する奥の院に、貞治68歳、死の数ヶ月前に彫られた延命地蔵尊がある。錫杖と円光が欠損し、首の稚拙な修理が気になるが、静かで知的な表情が魅力的である。基壇に、貞治の銘文が刻まれていて、余命少ない貞治が全力を傾けて造立した地蔵石仏である。

佉羅陀山地蔵尊
(片田共同墓地)

佉羅陀山地蔵尊
(片田共同墓地)
佉羅陀山地蔵尊
(片田共同墓地)
延命地蔵尊
(金剛證寺)

延命地蔵尊
(金剛證寺)

延命地蔵尊
(金剛證寺)

 

参照文献

曽根原駿吉郎 「貞治の石仏」    講談社
井上清写真集 「野ざらしの芸術」  創林社
別冊信濃路 「石仏師守屋貞治」 信濃路出版