田の神さあ 大隅(7) 志布志市・大崎町・東串良町・肝付町 |
メシゲとスリコギを持つ神職型座像の田の神の代表的な像が右膝を半ば立てた趺座の形で組む志布志市有明町の豊原の田の神である。寛保3年(1743)の刻銘があり、メシゲ、スリコギ持ちの田の神では古く、形も典型的なものである。志布志市志布志町の森山の田の神はに高さ118pの大型の田の神で、曽於市の広津田の田の神とよく似た単純明快な簡略な表現である。素朴な農民といった姿の蓬原の田の神は大正時代に作られた田の神である。大崎町の立小野の田の神は細長い端正な顔と右手に持つ大きなメシゲに特徴がある。文化11(1814)年の刻銘がある。 肝付町(旧高山町)の西横間の田の神1は、ワラヅトを背負い鍬を持つ像で天保八年(1836)の紀年銘を刻む。 傷みが少なく、目鼻立ちが美しい女人風の顔が素晴らしい。この田の神の横には、右手にスリコギ、左手にメシゲを持つ男性的な顔の田の神(西横間の田の神2)が、まるで夫婦のように並んでいる。 鹿屋市周辺で最も多い田の神像は、シキを後に頭巾風に長く垂らして被り、胸に大きな頭陀袋をさげ、スリコギとメシゲを持つ托鉢僧姿の田の神である。大崎町の田中の田の神や東串良町の岩弘中の田の神、中園の田の神などがそれである。波見下の田の神、花牟礼池の田の神も同じくすりこ木とメシゲを持つ田の神像であるが、田中や岩弘中の田の神などよりは丸みの帯びた表現となっている。宮下南の田の神はスリコギとメシゲを持つ田の神像であるが西横間の田の神2と同じように着物などの細かい装飾を省いて単純明快な表現に魅力のある田の神像である。 |