田の神さあ 大隅(5) 霧島市 |
昭和になっても、地元の石工によって田の神像は作られた。稚拙な像もあるが、伝統を引き継ぎながら近代的で個性的な田の神像も何体かつくられている。その中でも最も優れた田の神像が口輪野の田の神である。丸顔で庶民的な笑顔がすばらしい像である。石工は田端喜蔵で、昭和7(1937)年の作である。鎮守尾橋の田の神も田端喜蔵の作で、共に長袖の衣を着て右手にメシゲ、左手に椀を持つ。 小浜埒の田の神も地元の石工矢野秋男によって昭和6年に彫られた像で森ノ木の田の神とよく似た表現となっている。小さな墓地の側の田の畦に祀られている小浜埒上の田の神も同じ作者である思われる。丸顔で子どものような愛らしい顔の田の神像である。戦後になっても、開墾や耕地整理等を記念し、豊作を願って、田の神像は作られた。そのような田の神が霧島市国分の上小川の水田に祀られている森ノ木の田の神である。田の神の背後には美しい水田が広っている。 野久美田の田の神は右手てメシゲ、左手で椀を持った田の神立像で素朴な表現である。小村新田の田の神は弘化4(1847)に小村新田開拓の時に豊作を祈ってたてられたものである。湊の田の神は大隅半島でよく見かける右膝を半ば立てた趺座の田の神で斜めに被った大きなシキと、穏やかに微笑んだ顔が印象的な像である。見次の田の神は両手でメシゲを持った田の神舞型の田の神でコンクリートの制のの祠の中に鎮座している。 紫尾田の田の神は束帯姿の神官座像型の田の神で、正保元年(1644)という田の神像の中で最も古い紀年銘が像の背中で見つかり、最古の田の神像とされていたが、最近、元年の刻銘の右下に甲子という刻字が見つかり、「延享元年(1744)甲子十一月」と読む説が有力となっている。 |