田の神さあ 大隅(3) 姶良市旧姶良町・姶良市加治木町

 大山東の田の神は石仏のように舟形光背を背負った半肉彫りの田の神像である。田の神舞型の田の神によく見られるように右手でメシゲを持つが、へら部を下にして持っている。寛延4年(1751)の刻銘がある。三拾町の水田の畦道に、作風が違うが、メシゲを両手で捧げた田の神像2体並んでいる。右の田の神はやや小型で裁付袴をはく。 中川原の田の神は舟形の石材を彫りくぼめ、右手にメシゲ、左手に椀を持ち、田の神舞をおどる姿を半肉彫りにしたもので、稚拙な表現の田の神であるが素朴な趣がある。 

 内山田の田の神は旧姶良町では珍しい衣冠束帯の神像型座像の田の神で、左手は指で孔を作っている。御所人形のような穏やかな端正な顔の田の神像である。西田の田の神は田の神舞の姿を表したもので、自然石の前面を平らにして、舟形に彫り窪めて浮き彫りしたもので、下がり目と、大きな鼻・ふくれた頬などべそをかいたような滑稽な顔が印象的である。触田の田の神は、像高90pほどの丸彫り像で、たれ目、笑い顔の福々しい面貌である。袂をひるがえした上衣や、メシゲを持つ右手を上げ、椀を持つ左手を前に差し出した姿に動きがあり、田の神舞を舞う神職の姿を表したものと思われる。顔面などを赤く彩色している。 

 姶良市加治木町の加治木郷土館の田の神は、右手にメシゲを持ち、かぶったシキを左手で押さえ、笑みを浮かべて中腰で田の舞を踊っている。この像は、同じ姿態の日木山里や西ノ原の田の神に比べると小型で像高60cmほどである。また、郷土館には神官型座像の田の神もある。 田中公民館の庭には2体の田の神が並んでいる。右の神官型座像の田の神は加治木町では最古(寛保元年1741)の紀年銘を持つ。左の田の神は田の舞型の田の神である。ともに痛みがひどい。西反土の田の神<文政元(1818)年>は、シキをかぶり、タスキ掛けで、一歩踏み出して、両手でメシゲを持ち、空を見上げるように田の神舞を踊る田の神像である。
 
 鹿児島県指定民俗文化財のうち上木田の田の神は神官型の田の神で、宮崎県の神官型の田の神と同じように衣冠束帯姿であるが、腰掛け型でなく座像型である。えびの市の梅木の田の神のような力強さに欠けるが、端正な田の神である。

  鹿児島県の加治木町日木山里に昭和59年の東京での「ほほえみの石仏展」に出品され、話題になった田の神がある(日木山里の田の神)。頭に甑のシキを被り、右手にメシゲを持ち、左手でシキを押さえて、笑みを浮かべて中腰で田の舞を踊っている姿の田の神で、何回も石仏写真展等で紹介されている。