田の神さあ 大隅(1) 湧水町・伊佐市の田の神

 衣冠束帯姿の神官型の田の神は、宮崎県だけでなく伊佐市菱刈地区や湧水町など鹿児島県にも見られる。多くは座像型で、宮崎のような腰掛け型は伊佐市菱刈地区に数体見られるだけである。湧水町の般若寺の田の神や伊佐市の湯之尾猶原の田の神築地下の田の神は座像型で、伊佐市菱刈町の徳辺の田の神堂山の田の神は腰掛け型である。徳辺の田の神には「日州 雅楽」という刻銘がある。「日州 雅楽」は宮崎の野尻町や小林市の神像にも見られる銘であり、宮崎の石工と思われる。

 湧水町の鶴丸の田の神や伊佐市の猩々の田の神はメシゲを持ち裁付袴(たっつけばかま)をはいた、野良着姿の農夫をそのまま田の神にしたような素朴な田の神像である。昭和初期建立の湧水町四ッ枝後の田の神松山の田の神は鶴丸の田の神とよく似た立像の田の神で、左手は枡ではなく飯を持った椀を持つ。四ッ枝前の田の神も昭和初期の作で作者は宮崎の京町(えびの市)の石工、春田浅吉である。永山の田の神は自然石の田の神の後ろに平成12年に建立されたものである。

 真中馬場の田の神は湧水町の文化財案内資料では1700年代の作でお高祖頭巾をかぶった女人像の田の神であるとしているが、かぶっているものは、お高祖頭巾には見えない。他の田の神像と同じくシキではないだろうか。水窪の田の神は右手にメシゲ、左手に杵を持つ田の神で、グリム童話に出てくるこびとのような雰囲気の持つ。幸田の田の神は大正12年(1923)作の田の神でメシゲと椀を持って腰をかがめて田の神舞を踊る姿を表したものである。湧水町般若寺の山下集会所の庭にある山下の田の神はメシゲと枡を持つ田の神である。

 平出水の田の神は大日如来像で、田の神の本地を大日如来として造立したものである。般若寺の田の神や中組の田の神などとともに県の有形民俗文化財に指定されている。