西大和の石仏(5) 三郷町・斑鳩町

 三郷町の山上は信貴山の麓の崖の下に細長く広がる集落で、その集落の屋敷跡と思われる土地の小さな祠に奈良県で2基しかないという珍しい蔵王権現石仏が安置されている。長方形の石材に像高54pの右手を高く上げて三鈷を持ち、左手を腰に当て、右足を高く蹴り上げ、左足で立つ、憤怒相の蔵王権現像を半肉彫りしたもので、南北朝時代の作である。

 三郷町の勢野東6丁目の春日神社の社殿前方の丘に、仏師快慶か下絵を描いたという説もある薬師如来と月光・日光菩薩と十二神将を線刻した鎌倉時代の一針薬師笠石仏があった。この地区は惣持寺という集落で、この地に惣持寺という古寺が建っていたことに由来する。現在、持聖院と一院が残っていて、最近、一針薬師笠石仏はこの寺の境内に移された。近くの西勢野墓地には線彫りの阿弥陀石仏が、勢野東5丁目の瘡神(くさかみ)社には線彫りの弥勒石仏があり、一針薬師笠石仏と共通の作風を示す。

 西勢野墓地には他に江戸時代の六地蔵や船型十三仏板碑がある。また道を隔てた東勢野墓地の入口には江戸時代の七観音石仏がある。六観音は六道抜苦を求めて六地蔵と同じように墓地入口に安置されることがよくあるが七観音は珍しい。信貴山朝護孫子寺の南に南畑の集落がある。その集落の墓地に江戸時代の十三仏板碑がある。他の江戸時代の十三仏板碑の像と比べると厚肉で写実的な表現の優れた十三仏板碑である。信貴山へ向かう県道の道脇の林の中に一体の地蔵石仏か祀られている。いつも花が生けられ、冬になると毛糸の帽子やケープを着ている。

 斑鳩町の法輪寺には鎌倉後期の作風の地蔵石仏がある。この像は柏原市青谷の地蔵石棺仏と同じ作者と思われる端正な姿の像である。