一針薬師笠石仏       鎌倉時代
・奈良県王寺町畠田七丁目   北緯34度35分8秒、東経135度42分18秒                
・アクセス JR関西線「王寺」駅下車。北へ800m。    
自動車  西名阪道「法隆寺IC」より、西北西へ5q。
             
・ JR関西線「王寺」駅で下車して北へ450mほど歩くと大和川である。その大和川にかかる若草橋という歩道橋を渡ると、三郷町の惣持寺(勢野東6丁目)の集落がある。惣持寺の地名は、この地に鎌倉時代、笠置寺の解脱上人貞慶が中興した惣持寺という古寺が建っていたことに由来する。現在、持聖院と一院が残っているのみで昔の面影はない。

 最近、持聖院の内庭に移された一針薬師笠石仏は持聖院の西にある春日神社の社殿前の小さな丘に祀られていた。一針薬師笠石仏は針で刻んだような線彫りの薬師如来であるところからその呼び名がついたもので、高さ288cm、幅200cmの花崗岩の石材をの表面を磨き、像高165pの薄肉彫りの薬師如来を中心に、線彫りの日光・月光菩薩と十二神将を左右に配置する。幅200cm、奥行き103cmの笠石を載せている。

 持聖院に残されている惣持寺縁起書から、石仏研究家の仏師、故太田古朴氏は、一針薬師笠石仏は、仏師快慶が解脱聖人より請け負って、下図を描き、その下図を石工に写して彫った石仏ではないか、という説をとなえられた。