生駒谷・平群谷の十三仏

 大和の十三仏信仰は室町初期から行われていたと思われ、生駒市の往生院には木製板卒塔婆の十三仏画像が残っている。十三仏の石造遺品については、関西では生駒山地周辺に集中している。奈良県の生駒市・平群町・三郷町や大阪府の四條畷市などに天文年間(1532〜1555年)から江戸時代にかけての石造十三仏が多数見られる。その中でも最も古い遺品が文明11(1479)年の信貴山成福院の石室十三仏である。このページでは成福院の石室十三仏・椣原墓地十三仏板碑など奈良県の生駒市・平群町・三郷町の石造十三仏をとりあけた。

 信貴山朝護孫子寺は一般には「信貴山の毘沙門さん」として知られ、多くの参拝客でにぎわっている。その朝護孫子寺の塔頭の成福院に文明11(1479)年の造立銘のある石室十三仏がある。花崗岩製の石室で、中に十三仏と僧形像を浮き彫りにしたものである。開山堂の裏の命蓮上人の墓と伝えられる命蓮塚の上にもにも成福院石室十三仏を模したが石室十三仏あり、その周りには山型の板碑形式の一石一尊の十三仏が多数置かれている。これと同じ形式の一石一尊十三仏は道しるべと利用され、平群町の信貴畑から福貴畑に5基残っている。

 生駒谷・平群谷の十三仏板碑は十三仏の種子が刻まれたものと像容で表出するものがみられ、種子のものとしては生駒市の輿山往生院惣墓十三仏板碑などがある。像容で表出したものとしては平群町の鳴川椣原墓地信貴畑の東勧請などの十三仏板碑が、天文年間の作である。生駒市の石福寺には安土桃山時代の三基の十三仏板碑が名号板碑とともに本堂前に並んでいる。平群町の櫟原や三郷町の南畑勢野西の墓地には江戸時代の十三仏板碑がある。生駒市の大門町には像容と種子を組み合わせた磨崖十三仏大福寺十三仏板碑がある。これらの十三仏板碑のほとんどに念仏講の結衆者などの像立者の名前とともに「逆修」の刻銘がみられ、死後の供養のために建立したことがわかる。これらの板碑の十三仏の配列は多くが三列四段で、頂上に虚空蔵菩薩を配している。